作成者別アーカイブ: Hirofumi Ono

【アタカマ砂漠250kmマラソン】8:「バ、バナナが。。。(´;ω;`)ウッ…」

選手とメディア班を加え6名の大所帯で

様々なレース装備品や撮影機材を運んで

成田→NY→サンティアゴ→カラマ

と複数のフライトを乗り継いでアタカマへと向かうのである。

起こるべくして、トラブルはやってくる。


そう

「バゲージロスト」(荷物紛失)

である。

サンティアゴの空港にて、信ちゃんが青ざめている

信ちゃん「オレの荷物が、出てこない。。。」

オレ「マジか。。。中身、何・・・??」

信ちゃん(コスプレ用の)バナナ・・・・・・・・(´・ω・`)

オレ「(´・ω・`;)。。。最悪、荷物出てこなくても、コスプレはまぁオマケでもあるし。。。」

信ちゃん「。。。あと、装備品の一部と、

お揃いのチームウェアも・・・・・(´;ω;`)ウッ…


(空港で状況を必死に聞く信ちゃん)

あとに詳しく語るのだが、

ボクらが揃えたチームウェアには様々な想いがあった。

単に「チームとして、同じ服装」というコトを遥かに超えた想いが。

お互いソレが痛いほどわかっているだけに、不安と焦りが交錯するものの、

できるだけのコトはしつつも、待つしかない。

荷物がロストしたのは、NY→サンティアゴの区間。

アタカマに到着してから、レースのキャンプ地へ移動するまで

残された時間は2日もない。

間に合うのか!

バナナは、

そして、お揃いのチームウェアは!!

チーム”KIZUNA”の6名に、緊張が走る。

信ちゃんに負担を掛けないよう、チームみんなで影で

「バックアップ用の装備品を用意しておこう」と動きを始める。

が、アタカマは観光地ではあるものの、超絶田舎の街である。

ウェアはともかく、砂漠レースに必要なニッチな装備を揃えるのも至難かもしれない。

そして、レースキャンプ地へと出発の前日。

ついに、バナナが、ウェアが戻ってきた!!!

思わず、信ちゃん、黒ちゃんとハイタッチ!

「コレは、『持ってる』ね。オレら(・∀・)」

「ウェア達、ちょっとNYで寄り道したかったんだろうなぁ、きっと」

これで、装備品関連の不安は消えた。

さっそく現地で、お揃いのウェアにて、パチり。

(右から、黒ちゃん、ボク、信ちゃん)

そして、レースに向けて真剣に作戦会議をする姿もパチリ。

(大会オフィシャルにも転載されますたw)

3人の後ろ姿もパチり。

 

ほぼ完璧じゃねーの(`・ω・´)ゞ

あとの不安材料は、(勝手に抱えている)ボクの脚と体調だ。

NYで鍼治療を受けた直後の

「歩幅5cmのロボット歩き状態」からはかなり改善はしているものの、

まだ故障箇所に違和感を感じ、胃腸の調子も改善してきたとはいえ万全でない。

不安は拭えないものの、

レースが近づき、世界中から集まる選手たちとコミュニケーションしていくうちに

不安よりも楽しみの方が勝っていく。

(楽しみついでに
「ビートルズの『アビーロード』みたいなの撮ろうよ( ・∀・)」なヒトコマ。
あまりにヒドいwwww(´・д・`) )

「あぁ、ようやく、アタカマのスタートラインに立てるんだ!」

「スタートしてからのコトは、なるようにしかならない。

数日前まで中国で震える程の悪寒でうずくまっていたんだ。

ひとまず、スタートできそうなコトだけでも十分に幸せじゃん」

そうして、チーム”KIZUNA”、そして約150名の選手たちが

いよいよアタカマ砂漠250kmのスタート地である、第1キャンプ地へと足を踏み入れる。

ついに、レースを迎えるのだ!

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】9:『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。』

今回のアタカマ砂漠250kmマラソンの参加者は約150名。

そのうち、チーム戦として参加するのは

イングランド、ドイツ、スコットランド、

そして我々日本(チーム”KIZUNA”)の4チーム。

孫子の格言

を知り、己を知れば、百戦危うからず。」

ではないが、

レースのエントリー者が決まった段階から、

事前に

他チームメンバーの過去のレースの戦歴は徹底的に調べ上げていた

スコットランドチームは男女混成4名で

過去の戦績的にも

上位を狙うよりも完走を目標としたチーム
であろう。

ドイツの3名チームは、

そこそこ戦歴もあるが、1名55歳のメンバーがおり、彼の過去のレース結果から見るに

それほど脅威ではないはず。

(一番ペースが遅いメンバーが、チームのペースを決める為)

未知数なのは、イングランドの3名チーム。

砂漠等のレース戦歴が見当たらない。

が、チーム名から3名ともトライアスリートに違いない。

ここは現地で、選手を実際に見るまでは判断がつかない。

そして、ライバルチームを調べる他にも、

自分なりに今回のレースに向け戦略を事前に立てていた。

「アタカマ砂漠レースは

最初の1-4日(ステージ1~4)で、それぞれ約40kmほどを走り、

5-6日目が、オーバーナイト(ステージ5)で約80km

最終日の7日目(ステージ6)が、約10kmでゴール。

差が付き始めるのは、

担ぐ食料が減って荷物が軽くなりはじめる、3日目以降。

1-2日目(ステージ1, 2)は極力抑えめで、

3日目から徐々に調子をあげ、

4日目からホンキを出し、5-6日目のオーバーナイト(ステージ5)で全てを出し切る

「過去のチーム戦での成績から、

個人総合で50位以内に入れば、ほぼチーム優勝が固いレベル。

ボクらの過去の砂漠戦歴的に、

ボクはサハラ8位、黒ちゃんもサハラ28位、信ちゃんはサハラ40位

しかもそれからみんな実力を上げている。

順当にみんなチカラを出し切れれば、十分イケるハズ」

過去の砂漠からも、大きく順位が動くのは、

疲労が蓄積しだし、かつ荷物が軽くなりだすステージ4(4日目)

そして何より最も長い距離を走るステージ5(オーバーナイトの5-6日目)

である。

実際に、2011年のサハラ砂漠で

ボクが大ブレーキで順位をおとしたのもステージ5。

そしてそこでチーム優勝を果たしたイタリアチームも、ステージ3までは2位チームであった。

 

(今回のチームのうち、実力が未知数なイングランドチームは全員が砂漠レース初心者だ。

彼らは最初から飛ばしてしまうかもだが、ボクらは焦らず後半から飛ばして行こう。

特に、
我々日本人は欧米の選手にくらべ体型が小さいので、

担ぐ荷物の負担が大きい。

ステージが後半になるほど、荷物の大半をしめる食料が減って

荷物が軽くなり、早く走れるようになる為、欧米の選手より有利になる。

こういうコトも

「一人勝手に」「考え杉」

というコトなのかもしれないが\(^o^)/。

そうして、アタカマ砂漠250kmのレースがいよいよスタートしていく。

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】10:『レース初日、ステージ1』

いよいよ、レーススタートの朝。


(左から、信ちゃん、ボク、黒ちゃん)

初日のステージ1は、レースを通して最も高地を走る。

最高3,300mほどまで登って一気に2400mまで下る、40km弱のコース。

しかも、ボクらはアタカマについてせいぜい3日目で、まだ高地慣れしていない。

「とにかく、初日はあせらず様子見でいこう」

チームで走る砂漠レースは、

「25mルール」に従わなくてはならない。

チームメンバー全員が、25m以内で固まって走り、

スタート、ゴール、その間のチェックポイント(CP)全てを同時に通過しなくてはならない。

ドイツ、スコットランドチームは、それぞれウェアを揃えるなど

見てすぐに「あれはチームだ」とわかるのだが

事前調査で「一番未知数」と睨んでいたイングランドチームは、それぞれバラバラのウェアなので、

周りで走っているどの選手が、個人なのか、もしくはイングランドチームの一員なのかはわかりにくい。

(まぁ、初日は周囲は気にせず、総合50位以内をターゲットでいこう)

お互いに智慧と工夫を出しあい「装備の軽量化」にこだわった

チーム”KIZUNA”メンバーがそれぞれ担ぐ荷物は

小野:7.5kg(うちダイコンが635g)

佐々木:9.5kg(うちバナナが730g)

黒澤:10kg(うちキリンが711g)

※ここに、水が1~2.5kg加わる。

特に黒ちゃんは身長が大きいので、食料も多くなり荷物が相対的には重いのだが、

3名とも、他選手に比べてかなり軽量なほう。

それでも、水を含め10kgちかく背負って3000m以上の高地を走るのは

想像以上に息がきれる。

「こりゃ、なかなかにタフだなー(;・∀・)」

3人ともに受けていた低酸素トレーニングのコーチから良く聞くセリフ

「(SPO2、酸素濃度)90まで戻していきましょー」

と互いに声をかけながら、ひたすら呼吸を意識。

登りは積極的に歩き、走れる路面では、ゆったりのペースで進んでいく。

(脚は、いまのところ大丈夫そうだ。良かった!!!!


でも、まだ、7日分の1日目。油断大敵!!)

20kmを超え、後半に差し掛かってきたあたりから、

徐々に胃腸の調子が悪く、若干「おえっぷ」モードが発動。

(イカン。サハラで経験したのが、初日から出てくるのかいな。。。

まだ胃腸が戻ってないのだろうか。。。)

途中、若干のコースロストをして5分ほど時間をロスしたものの、

脚もなんとかごまかしながら、初日は総合42位でゴール。

かなりゆったりモードでもあり、想定していた通りの運びで、悪くない。


1週間前の東京マラソンで、10kmで既に痛みが出ていた脚が、

40km近く走ってもなんともない。

こんなうれしいコトはない!

NYで脚を診てくれたEvan、紹介してくれたアヤロちゃん、ありがとう!!!


(スタート前、全力テーピングの姿なり)

(Evan曰く、「後半から徐々に痛みが出てくるかも」とのこと。

本気モードが入ってくるステージ4の朝、

そして勝負のステージ5の朝に、脚がどうなっているか。

それが問題だな。。。まぁ、考えすぎない!)

ゴール後、さっそく他チームの状況を確認すると、

なんと、
「実力不明」だったイングランドチームが、ボクらの16分先にゴールしているとのこと。

(なんと!彼らがどのくらいの本気度での結果かはわからないけど、なかなか簡単にはいかないかも。。。)

ところが、よく話を聞いてみると、

イングランドチームの3名は、2名が同時にゴールしているものの、もう1名はさらに早く先にゴールしているとのこと。

「25mルールを知らないのか、もしくはチーム戦をやめて個人戦にしたのか」

いろいろと気になるのではあるが、

レース中から感じていた「おえっぷ」が耐えられないレベルにまで気持ち悪くなり、

ひとりテントで横になってしまう。


(隣のバナナは信ちゃんのスリーピングパッド)

(やばい。。。初日から、こんな体調不良だと、明日以降大丈夫なんだろうか、、、)

過去のサハラの経験や、レース前から体調が悪かったこともあり、

医薬品は豊富に用意してきていた。

が、ガスター10や吐き気止めなど薬を飲んでも、いっこうに体調が回復しない。

(もしかして、脱水。。?!(・.・;))

あわてて、塩を舐め、水を飲んでみる。

アタカマは非常に乾燥しているので、汗を大量にかいていても、自覚症状が少ない。

汗をかけば、水だけではなく、体内の塩分も失われていく。

(ん?(・・;??。。。。


おや????


急に、調子がよくなってきたゾ!!!( ・∀・)!!!)

なんと、塩が足りてなかったのが原因だったようす。

というのも、

「塩分は取り過ぎると、体内塩分が濃すぎになり、濃度を薄めようとカラダが水を貯めこんでしまい

かえってカラダがむくんでしまう」

という話を聞いており、今までの砂漠以上に塩の摂取を控えすぎていたようだ。

いろんな薬を飲んでも回復しなかったカラダが、

塩タブレット2つぶで、こんなにも体調が変わるのか!

スゲーぜ!塩!しお!( ・∀・)!

塩分摂取のちょっとしたバランスで、

脱水にも、むくみにもなってしまう。

あらためて、砂漠レースの難しさを痛感した瞬間でもあった。

(まぁ、いろいろあったけど、まずは1日目。

まだ、始まってすらない!明日は、いよいよ、川をいくつも渡るステージ2!

3名で水かけあいっこしながらはしるぜ!!!( ・∀・))

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】11:ステージ2「『チーム』の意味」

アタカマ砂漠、2日目の朝を迎える。

美しい朝焼け。

朝といえば。。。

レース前から、ある程度の覚悟はしていたのだが。。。

そう。

「ウンチが、固まりきらない」

悩み。

(お食事中の読者の皆様には、大変失礼いたしましたm(_ _)m】

食欲もほとんど出なく、超絶「下痢ピー」だった数日前にくらべ、

食べられるだけでもスーパー有難いのではあるけれど、

なんとか固まらないかなー。。。(´・ω・`)。

そう、ずっと祈っていたのだが、

2日目にして、ようやくヤツの

(ボク的)固形度指数


が上がってきたではないか!

こりゃ、2日目もいい兆しだぜ!

そういえば、昨日ボクらより16分早いながら、

3名固まらずにゴールしたイングランドチームは

やはり「25mルールの存在を知らなかった」様子

本来ならば、ルール違反ではあるものの、


特にペナルティなどのお咎めもなく、チーム戦を続行とのこと。

まぁ、まだ2日目だ。

今日の目標は

 

「イングランドチームに、これ以上差を開けられない程度に、
でもゆったり走ってチカラを温存」


(左から、ボク、信ちゃん、黒ちゃん)

 

今日のコースは、アタカマ名物

たくさんの川を渡り、大砂丘を抜けていく。

特に、砂丘を下り降りる瞬間は

「これぞ、砂漠レースだぜ!!!」

という、サイコーに楽しい瞬間。


(はるか下に見えるふもとまで、一気に駆け下りる)

いまのところ故障している脚も、特に問題はなさそう。

胃腸も、だいぶ回復してきており、今日は「おえっぷ」を感じない。

「走れるって、なんて有難いんだ!!!」

思わず空にそう叫びたくなるくらいにウレシイ!

ここらで、

ボクなりに見たチーム”KIZUNA”3名の特徴を解説していこう。

信ちゃん、黒ちゃんともに、
アタカマ前からいろいろなレースで一緒に走った経験があったので、

3名とも、それぞれの特徴や得意/不得意はわかっているつもり。

とはいえ、砂漠という非日常かつ過酷な環境で7日間ともに過ごすのだ。

今までどれだけ仲良くしてきていても、

どんなトラブルが起きても不思議ではない。

信ちゃん

 

走力的には3名の中では、一番ハンデがあるが、周囲のどんな人とも仲良くなれ、

ムードメーカーで、いつでも人を笑わせたり和ませたり、

誰よりも人のココロを汲んだ発言をできるチカラをもっている。

 

苦しい時やトラブル時に救ってくれるのは、こういうタイプ。

黒ちゃん

むかし体育会系に所属していたこともあり、

誰よりもストイックで勝負に真剣で、言ってみれば「超がつくマジメ」

その性格もあって、一番ラン歴が短いにも関わらず、いまでは3名中一番走力も心肺機能もずば抜けている。

ここぞという時にチームを引っ張って力強く走ってくれるのは、こういうタイプ。

そしてボク(小野)

自分で自分を客観視するのは難しいのだけれど、

事前にライバルチームを調べあげたり、レース全体の戦略をたてたり、

コスプレランを考えたり、良くも悪くも色んなアイデアを生み出し、組み立てて巻き込み実行していくのは得意。

走力も、長距離系やトレイルに関しては一番経験が豊富。

でも、一人勝手に抱え込み過ぎたり、考え杉で自爆しがち

(今そのバクダンがまさに脚や胃腸にあるのだけれど(´・ω・`))。

そう。

3名とも、タイプがバラっバラなのである。

アタカマへの壮行会で

3名それぞれが、アタカマへの想いをプレゼンする機会があった際に

信ちゃんが言っていた

「『チーム』と『グループ』の違い」

という素晴らしい話。

「『グループ』が生み出すチカラは、

所属する個人の総和にしかならないのに対し、

 

『チーム』というのは、

所属する各メンバーが他人の意見に耳を傾け、建設的に反応し、

他人の感心事や成功を認めるといった価値観が集約され、

個人の能力の総和以上のチカラを出すことができる

実は、ステージ1の初日から、ボクと黒ちゃんでちょっとしたケンカがあった。

ボクは「(タイムや順位を狙うために)楽しんで走ろうぜ!」というタイプ。

一方黒ちゃんは「(タイムや順位を狙うために)出来るコトは全部しようぜ!」というタイプ。

チーム全員ともに、もちろん「世界一」の目標は同じなのだが、

アプローチの方法はそれぞれ違ってくる。

たとえば、少しだけ立ち止まって写真を撮ったりというのは、

ボクとしては『長いレースなので「楽しめる状況」を作り、メンタルを上げることが

結果としてタイムや順位に繋がる』アプローチだけど

黒ちゃんとしては『そこでタイムを稼げるのならば、こだわって少しでも前にいく方が

結果としてタイムや順位に繋がる』アプローチ、みたいな。

もちろん、どちらが「絶対に正解」なんてモノはない

互いの考えを、尊重するコトが大事

でも、ただでさえ3000m以上の高地で空気も薄く、

40度前後の気温の下、10kgほどの荷物を抱えて走り続けると、

お互いに精神的な余裕は減っていく。

ステージ1のちょっとしたケンカも、そこから始まった。

いつもなら、中和役として期待したい信ちゃんも、

体調が良くないため自分の走りに必死。

少しだけ、黒ちゃんとボクで気まずい空気が流れる。

けど、結局ゴールして、握手して「お互い、尊重大事だな」と笑顔。

そんな感じで、2日目も

「もうこうなったら、1日1ケンカを目標にしていこうぜ!( ・∀・)!」

と笑いあうようなカンジ。

そんな2日目は、信ちゃんの胃腸がかなりやられたものの、

ゴール直前には、みんなで「コイバナ(恋話)」をしながらゴール。

故障を抱えていた箇所は、ステージ2を終えても、問題が出てこない。

が、故障箇所(土踏まず外側)とは逆(内側)のカカトに、少し鈍痛が出てきた。

(ちょっと故障箇所をかばいすぎているかも。。。

まぁ、まだなんとかなるだろう。

なにより、2日目終わっても、走れる脚の状態なんだ!素晴らしいじゃないの!)

2日目単独の結果は総合28位。

42位だった初日と同様で抑えて走ってはいるものの、結果はなかなかに悪くない。

しかも、1日目で16分差を付けられていたイングランドチームを1-2日合計タイムで上回り

10分の差を着ける結果に。

(『16分以上差を明けられない』目標だったのに、

今日だけで計26分も差をつけてゴールできたのか。

まだ全然ゆったりペースでこれなら、十分行ける!

でも彼らもペースを抑えただけかも。油断は禁物!

なによりみんな、よく頑張った!ウレシイ!!)

ところが、この日もイングランドチームは少しおかしな動きがあった。

というのも、ゴールした際、1人だけ4分早めにゴールし、

その後残りの2名がゴールしたのである。

「これって、やっぱりルール違反だよね。。

チーム戦でやりたいのか、個人戦に戻したいのか、

どっちなんだろう。。」

当然、個人それぞれに「走りやすいペース」というのが存在する。

でも、チームである以上、その時のメンバーの体調や走力にあわせて、

その時点での「チームとしてのベストペース」で走るのが鉄則である。

ボクらとすれば「先に一人でゴールした選手も、たった4分の差なんだから、

もう2人のペースに合わせてあげればいいのに」

とも思うが、彼らも極限の環境下で、それぞれの状況があるのだろう。

結果、事務局から指摘を受けたイングランドチームは

その日
「チーム戦をやめ、各自個人戦に切り替える」


という判断を下す。

さらに、もう1チームのドイツチームは、

3名中1名が川渡りでケガをしリタイアとなり

チーム条件の「3名以上」が満たせなくなり

必然的にチームが解散、個人戦へと切り替えられる。

2日目にして、早くも、残ったチームはボクらチーム”KIZUNA”と、

すでに数時間後方に遅れをとるスコットランドチーム

(彼らも1名リタイアして、4名から3名になっていた)の2チームのみ。

早くも、チーム戦としては「リタイアさえしなければ、チーム優勝は確実」が見えてきた。

だからといって手を抜くボクらではない。

チーム世界一を最優先に、無理はしないながらも、

「過去の個人のベスト順位を越えていく」目標を新たに設定。

まずは、黒ちゃんのベスト「総合28位」を超える目標に切り替える。

一方で、チーム戦の怖さも痛いほど目の当たりにする


そこそこ走力が同じで、実力もありそうで、

しかもみんな元気そうにも関わらず

詳細はわからないながら解散してしまったイングランドチーム。

ウェアもお揃いで仲が良さそうだったにも関わらず、

1名リタイアしたためにチーム戦を離脱せねばならなくなったドイツチーム。

まだ、2日めが終わったばかり。

 

ボクらも、いつ同じ目にあうとも限らない。

(問題は、明日のステージ3が終わった段階で、故障がどうなっているか。

本気モードに移っていくステージ4前に、

バクダンを抱えた故障箇所がなんともないといいのだが。。。

ま、考えてもしかたないっしょ( ・∀・))

ステージ2は満天の星空の下、幕を閉じていく。


(テント内。奥から信ちゃんと、乾燥するので、マスクかわりにバフして寝るボク。)

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】12:ステージ3「砂漠への『様々な想い』」

レース3日目、ステージ3。

今日から、少しずつ全体のペースを上げていく。

走るペースを上げるのではなく

「ペースはむしろゆっくりでよいので、

歩く箇所を減らす。走れる路面のコースは、全て走る
」が目標。

歩く箇所を減らすコトが、全体のタイム上昇にかなり大きく貢献するのだ。

レース初日のスタート前から、ボクらチーム”KIZUNA”は、

3名が所属するトライアスロンチーム「イオマーレ」の掛け声をベースにこんな掛け声をしていた。

「自分に負けない!
みんなが仲間!!
全てに感謝!!!
チーム”KIZUNA”!!!!」

ステージ3の朝も、同様に掛け声をしようとすると、

他の日本人選手も何名か「一緒にやらせてください!」と集まってくる!

「自分に負けない!
みんなが仲間!!
全てに感謝!!!
チーム”KIZUNA” & “JAPAN”!!!!」

そうして、ステージ3スタート。

この日のコースは、予定では「さほど難しくない」

となっていたのだが、フタを開けると、なかなかにタフ。


(スタートから、藪をかき分けて進んでいく)

 

特に、最終ゴールが見えて「ようやく」と思ってから、

まだまだまだまだ鬼のようなコースが続いていく。


(もう目の前にキャンプ地が見えているが、ココからが鬼のように長い!)

何度も砂丘を降り、登らされ、


しかも泥川をわたらされ、

足場の悪い河原を通らされ、ようやくゴールと思いきや、またもや


砂丘を鬼下りと鬼登り。


(砂丘の下の河原地帯に降りる前。「楽しそー」と降りたらドロと足場最悪の連続ですたw)

 


「登り切ったぜ!」な黒ちゃん(左)とボク(右)

コレは、なかなか「精神的にタフ」


とはいえ、チーム”KIZUNA”は今日も危なげなく、

ステージ3単体で27位の成績でゴール。

目標の「走れる路面は全て走る」も達成。

しかも、ステージ2が終わって痛み出していたボクのカカトも

ステージ3を走っているうちに、

なんと痛みがひいていくではないか!!!

(たしかに、痛みのあるカカトに負担がかからぬよう、

かといって、元々の故障箇所に負担もいかないよう、

かなり集中しながら一歩一歩走れたけれど。。。)

ランの大先輩が言っていた名言

「小野クン。脚の痛みなんてモノは

走っていくウチに治していくモンなんじゃよ」

(お、オレも、ついにその領域に少し近づいたのか(;・∀・)!!)

とにもかくにも感謝で胸が一杯になる。

(本気モードに移るステージ4前にして、こんなに健康体でいられるなんて、

レース前からは想像だにできないぜっ!!ありがとーーー!!!)

今日は、少し他の選手について触れよう。

ここ、アタカマ砂漠には実に様々な選手が、さまざまな想いと共にやってきている。

特に触れたいのは、今回日本とブラジルから参加している、

盲人ランナーの2名。

当然ながら、伴走者が居なくては、砂漠どころか走ることすらままならない。

日本の全盲ランナー濱田さんを伴走するのは、

「このところ関係がよくない日韓の架け橋になりたい」との想いで伴走者を申し出た

日本に住む韓国人の金さん。

そこに、韓国に住むHwanさんもサポートし計3名の体制。

ところが、ステージ3のこの日。

多くの選手がいつもより遅くに、疲労困憊でゴールに戻ってくる。

そして、いつも濱田さん&金さんにサポートで付いているハズの

Hwanさんが、一人で遅い時間にゲンキなさそうに帰ってくる。

Hwanさんは韓国語しか話せないので詳細はわからないのだが、

 

どうやら、濱田さん&金さんの2人がかなりコースに手こずっており、

Hwanさん自身も制限時間が危うくなり一人戻らざるをえなかったとのこと。

Hwanさんが、ジェスチャーで「ゴメンなさい」とすまなそうな顔をする。
「何言ってるんですか!サポート頂いているだけでも感謝感謝なのに!ありがとうございます!」

そして、日が暮れて、あたりは真っ暗闇に。

まだ、濱田さんと金さんは戻ってこない。

(ひょっとしたら、ステージ3でリタイアしてしまうのだろうか。。。)

そんな中、ゴールからはるか向こうに、ゆっくりと動くヘッドライトのゆらめきが見えてくる。

「濱田さん達だ!!」

ゴールは険しい砂丘を登り切った箇所。

砂丘の上より、韓国と日本の国旗を掲げ

沢山の選手たちが濱田さん、そして先導する金さんを応援する。

Stage_3-215

 

そして。。

沢山の声援の中、2人はついにゴールを遂げる。

Stage_3-217

ゴール後、出し尽くして倒れこむ濱田さん。

健常者でも、足場を選ぶのに困る大変なコースである。

それを、伴走しながらゴールするなんて。。。

あまりの感動に、しばらく呆然としてしまう。

これこそが、真のチームである。

(我々も、明日からいよいよ本気モード。

何があっても、出し尽くすレースをしてやろう!)

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】13:ステージ4「『もう一人』のメンバー」

ステージ3での、

全盲ランナー濱田さんと伴走者 金さんの壮絶なゴールで感動しすぎたのか、

ステージ3の夜はほとんど眠れず、気づけば起きたまま朝の2時過ぎ。

実はその前日、ステージ2の夜もあまり眠れずに

黒ちゃんから睡眠導入剤をもらってようやく浅い眠りにつけたばかりだった。

(ま、2晩眠らずに44時間かけて250km走った経験あるんだし、

楽勝だぜっ(`・ω・´)ゞ)

そうして、いよいよ、ステージ4。

当初の予定どおり、今日からは本気モードだ。

しかも、コース難易度も最も高い「悪名高い」ステージである。


こんなガビガビ&凸凹に地面が固まったコースを


果てしなく突き進んだり


「ガトーショコラ」っぽいながら、突然地面が凹んだりな路面や


時には川もわたらされたり。

難コースながらも、以外に走れる箇所は多く、

終わってみれば、

ステージ4単体で23位

毎日、少しずつ順位が上がっているのはなんともウレシイ。

脚の調子も悪くない。

これで、残すは明日から5-6日目をかけて走るロングステージ「ステージ5」と

最終日7日目のステージ6。

ステージ6は10km前後なハズなので、実質明日のステージ5で完走か否かが固まる、

いわば、勝負の日である。

その勝負のステージ5を前に、脚も健康体でいれるなんて、

自分としては奇蹟のよう

にすら感じられる。

(きっと、『としをサン』が見守ってくれているからだろうな。。。。)

・・・・・・

・・・・・・

そろそろ、「としをサン」について、語らせて頂きたい。

ボクら「チーム”KIZUNA”」の、もう一人のメンバー

世界で活躍するデザイナーでありながら

ボクら3名が着るこのウェアのデザイナーでもあり

アスリートとしても大先輩であり、

なにより、ボクラのアニキ分的な存在な

嶋田俊彦さん(愛称「としをサン」)について。

実は、ボクら3名ともが、

アタカマの初日からずっとリュックに「としをサン」の写真を付けて

走っていた。

ボクが「としをサン」と出会ったのは2年半ほど前だった。

お互いカナヅチで25m程しか泳げなかったのを克服し

信ちゃんら5-6名と「『トライアスロン』にチャレンジしよう」

「どうせだったら、カッコいいウェアを創りたい」

そんな経緯で、昔からトライアスリートでもありデザイナーでもある「としをサン」が

ボクらのトライアスロンチーム『イオマーレ』に加わり、

ウェアも手がけてくれた。

そうしてできたのが、このウェア

ウェアには、このチームが出来た2010年からという意味で

「KIZUNA since 2010」

と刻まれている。

その『イオマーレ』もたった2年半ながら

仕事も年齢もバラバラな素晴らしい仲間が次々と集まり、

いまでは100名ほどが所属するチームにまで成長する。

いつしか、としをサンが創ってくれた

このウェアそのものがボクらの「キズナ」

となっていた。

また、個人的にも、いつもカッコいいとしをサンを見て


ボク「オレもとしをサンみたいにカッコよくなりたい(`・ω・´)ゞ」

ヨメ「オマエはとしをサンと素材が違うから、無理すんな(´・д・`)」

とやり取りをしていたほど、

「憧れのアニキ」

としても存在してくれていた。

そして、アタカマのレースから1年ほど前、

突然に、その時はやってきたのだ。

衝撃の事実を伝えられた時が。

「としをサンが、

末期ガンで『余命1年宣告』

を受けた

ガンと闘うとしをサンは、気丈にも

(ガンを乗り越えるのが)人生最大のチャレンジ」

といつも気丈に笑顔で語ってくれ

「余命宣告の1年乗り越えて、宣告下した医者も呼びつけて

『生き抜いてやったぜパーティー』しよう」

なんてコトも言うほど。

お見舞いに行くボクらを逆に勇気づけたり、優しいコトバをかけてくれたりしていた。

(末期がん発覚すぐに「イオマーレ」初期メンバーでお見舞いにいった際。
中央が既に末期ガン余命1年宣告を受けていた「としをサン」)

そんなとしをサンが、

常に希望を失わず、

どんなツラい状況でも笑顔を絶やすずに、

常に「ガン」と闘いつつ、

11ヶ月ほどが過ぎたある日。

ボクらのアタカマへのチャレンジが近づき、

一方でお医者さんからの「余命1年」の宣告日も近づくなか

日に日に衰えてしまっているとしをサンが、ボクらに言った。

 

「今までは応援するのは好きで、

応援されるのにはシャイな僕だったけど、

さすがに乗り越えられないかも?

という痛みや“峠”が何度かき出して、

アタカマで元気に走っているみんなからの応援もらえたら

 

オレももっと頑張れる気がするんだ。

いつも、どんな時でも、

決して、自分の境遇や、「超えられないかも」な痛みに対し

一切の愚痴や不満を見せずに、

逆に、そのステキな笑顔と優しさで僕らを支えてくれていたとしをサンが、

初めて、僕らに頼ってくれた、お願い。

ボクらが、散々お世話になっていて、

恩返ししたいと思いながらも、

としをサンにとって切羽詰まっているハズの時でさえ、

むしろ逆に支えてもらったりしていたのだ。

今、ここで「ようやく恩返しできる!」時が来たのだ。

応えないどころか、

むしろ全力で、喜んで、応援させて頂きますよ!としをさん!!!

ボクらは、としをサンが創ってくれたウェアで

どれだけの仲間とどれだけ沢山のチャレンジを、

素晴らしい経験と”キズナ”を得ることができてきたのか。

そして何よりも、ボクらは、


「チームの大切さ」

「キズナの素晴らしさ」

「チャレンジできる事のありがたさ」


そして何より、

「人として素晴らしい生き様」

をどれほど教わってきたのか。

ボクらも、少しでも、恩返しをせねば。

としをサンが作った、

いわばとしをサンの「タマシイ」とも言えるウェアを着たボクらが

としをサンが大切にしている「チーム」として、

ゲンキにゴールし、世界一を飾る。

そんな姿を見せてあげたい。

そんな想いが、ボクらにはあったのだ。

そして、としをさんから学んだもうひとつのこと。

「どんな時でも、明るさやユーモアをもって、

自ら楽しんで、周囲を楽しんで、生きる。」

事。

ボクらが、真剣にトレーニングを重ね、

1グラムでも装備を軽量化しつつ、

本気で世界一を狙いつつも

「着ぐるみのコスプレは外さない」

というコンセプトも、

信ちゃんお気に入りで、ボクも大好きになった

ウルフルズのナンバー「笑えれば」の歌詞

「とにかく、笑えれば。

最後にわらえれば。」

ではないけれど、

「どんな状況をも、愉しむ」

から、生まれたもの。

「(としをサンのウェア着て)世界一、獲るからね!

で、砂漠なのに、コスプレでも走るからね!!

ダイコン、バナナ、キリンで!」

と伝えつつ、同じくイオマーレのメンバー、あんなちゃん、みづきちゃんの尽力で

こんな人形たちもとしをさんの病室に届けられる。

(本人たち)

ダイコン、バナナ、キリンのぬいるぐるみを持ったとしをサン、

ファッション業界の最先端を走りぬいていたとしをサンとしては

おそらくありえないんじゃないか?っていう

オカシなぬいぐるみ3つを抱えつつ

「3人(匹?)とも、『オレがオレが!!』と楽しそうに

アタカマ走るんだろうなぁ」

と楽しそうに眺めてくれていた。

そうして、

アタカマ出発の間際になり、

としをサン
「アタカマでみんなが背負うリュックに着けるワッペン、アレ、カッコいいよなぁ。

アレ車椅子に付けて、オレも一緒に走ってる気分で応援したいな」

「小野さん達のリュックにも、こんな風に水筒付けて走るんでしょ?

オレのはスタバがいいなぁ(笑)」

(左は、7年付き合い、ガンが発覚後入籍した新妻の美紀さん)

そんな風に、誰よりも、ボクらのアタカマへのチャレンジを

楽しみにしてくれていたのだった。

でも、時間というのは

誰にとっても有限で、

かつ残酷だ。

ボクらのアタカマ出発の3-4日前に

どんな時でも全力スマイルの新妻の美紀さんが

涙ながらに教えてくれた事実。

「お医者さんから、

としをサン『あと1週間かもしれない』

そう言われた。」

その夜は、散々に、泣いた。

でも、泣いていたって、ハジマラナイじゃないか。

デキることを、すぐ、やらねば。

その夜のうちに

としをサンが「キズナ」としてのウェアを与えてくれた

トライアスロンチーム『イオマーレ』メンバーに急遽

『明日、としをサンの病室から見える、天現寺交差点に集合!!!』

と呼びかける。

信ちゃんはじめ、いろんなチームメンバーのアイデアを元に、
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『としをサンと、そして支える美紀サンに、

サイコーの応援を!!!』

と急遽生まれた応援企画。

「としをサンの病室から見える、天現寺交差点の歩道橋で

としをサンの創ったウェアをみんなで着て

としをサンに応援メッセージを贈ろう!」

直前の呼びかけにも関わらず、沢山の仲間が集まってくれる。

そして、実現した、天現寺交差点でのヒトコマ。
病室から見ている、

としをサン、そして新妻ミキさんへのメッセージ。

「としおサン  キズナをありがとう!」

 

「ミキちゃん 笑顔をありがとう!!」

 

 

「みんなナカマ!!」

そうしたボクらのメッセージを、

カラダを起こすのも精一杯な中、見つめてくれていたとしをサン。

そして、支えてくれた、新妻のミキさん。

としをサン、ミキさん

本当にありがとう!!!!

そうして、

ボクらがアタカマへ旅立つ2月27日。

「朝7時にとしをサンの病院集合で挨拶してから、

8時には成田へ向け出発!」

そんな予定を組んでいた。

しかし。。。

ボクらが、アタカマへ向け東京を旅立つまさにその日、その朝に

としをサンは、11ヶ月に及ぶ壮絶なガンへのチャレンジの末に、

2月27日 朝の2時43分、

50歳という若さでボクらの目の前で、旅立っていった。

前にも触れたが、

ちょうどその時のボクは、出張先で震えが来るほどの悪寒で、

帰国後すぐに緊急病院に駆け込んだあと、

自宅に戻り、数時間後のアタカマ出発の準備をしていた深夜に

としをサンの病院にいた信ちゃんより電話があり、としをサンの病室に駆け込んだ。

その、1-2時間後に、としをサンと最期の別れとなったのだった。

「としをサン、オレが中国から戻ってくるの待ってから旅だってくれたんだな」

奇しくも、としをサンが旅だった2月27日は、

「キズナの日」

なんだそうだ。

そう。ボクらのウェアに刻まれている

「KIZUNA since 2010」

の”キズナ”でもあり

ボクらのアタカマのチーム名でもある

“KIZUNA”

しかも、としをサンは、

7年に渡り交際しガン発覚後に入籍した、大好きだった新妻の美紀さんとの

「付き合い始め記念日(2月26日)」も、きっちり乗り越えてからの旅立ったのだった。

「としをサン、

最期まで、
サイコーにカッコつけて

逝ってくれちゃって。。。」

アタカマ1週間前で、ケガ再発のリスクにも関わらず

東京マラソンをコスプレしてUstreamで中継しながら走ったのも、

日に日に弱ってしまっていくとしをサンが

ボクらの中継を見てゲンキ付けられればとの想いからだった。


(バナナ信ちゃんと、ダイコン僕と、ケーキ宇田川ちゃん、右半分切れてるのはNY便操縦のエダマメ力丸ちゃん)

お腹に「としお」と書いたバナナの信ちゃんの知恵のお陰で

ものスゴイ沢山の人から

「としおーー!がんばれーーー!!

と応援されつつ、

その様子をUstream中継で、としをサンにも届けることができたのだった。

沿道の応援の方々は、バナナが「としお」と思って応援くれていたのだが、

あの全ての応援は、Ustream経由で「としをサン」に届けられたものだった。

僕がアタカマのレース前に故障や体調不良で不安になった時は

『今晩、超えられるか分からない恐怖』

と常に闘いつつ、

一切愚痴をこぼさずに笑顔と優しさを振りまく嶋田さんを思い出し

どれだけの勇気をもらっていたことか。

アタカマ出発の直前にも、

起き上がるのもやっとな体調な中、

僕らのウェアに、としをサン直筆の応援メッセージを書いてくれたのだった。

(黒ちゃんは直前の海外出張で間に合わずだったが、

体力の低下から丸2日にかけて

信ちゃん(左)とボク(右)のウェアに渾身のメッセージを書いてくれた)

13-18
表の胸の日の丸部分には「絆」の文字も。

としをサンが、東京マラソン前夜、

体力も限界で、薬で朦朧としながらも、

チカラを振り絞って最期に手書きでボクらに書いてくれたメッセージ。

いわば遺言。

13-19

 
『競技の後に皆でパスタを食べるとしたら、

私は、あれ、俺はあれ…と格好つけるでなく、

なんでもいいから一種類でいいのだからパッと決めて食べればいい。

イタリアでは好きなメンバーでパスタをとる事がNO.1です。

そんな気がしました。

東京マラソン、楽しみにしてます。
無理は禁(まるきん)です!

嶋田』

今から思えば、

としをサンは、最期のメッセージでも

「チームの大切さ」をボクらに問いかけていたような気がする。

これまでの4日間、

目的が同じチームながら、ちょっとしたアプローチの差で

ぶつかるコトもあったボクら3人だったけど

『私は、あれ、俺はあれ…と格好つけるでなく、

なんでもいいから一種類でいいのだから

ッと決めて食べればいい。』

まさに、チームの考え方を伝えたかったのだろう。

 

 

そんな風にしてボクらは

アタカマに向け東京を旅立つ数時間前に、

50年の一生を終えたとしをサンの旅立ちを立ち会わせてもらい、

そのまま朝を迎え、ここアタカマへやってきたのだった。

NYでの、信ちゃんのこのウェアが入った荷物のバゲージロストも、

きっと、としをサン、NYを少し散歩したかったんだろうなぁ。

そんなとしをサンのお通夜の開始時刻は

ボクらが明日走る、ステージ5、オーバーナイトステージと同時刻。
(チリ時間の3/7 8am。日本時間の3/7 8pm)

地球の真裏通しで、

それぞれの「オーバーナイト(通夜)」が始まる。

そして、としをサンの告別式は、その14時間後。
(チリ時間の3/7 10pm。日本時間の3/8 10am)

「これまでずっとアタカマで一緒に走ってくれて

オレらを見守っていてくれていたとしをサン。

ゼッタイに、としをサンの告別式の開始時刻までには、

ステージ5を走りぬいて、としをサンが安心して東京に戻れるように頑張ろう。」

ステージ4を終えた夕方、

メディアクルーの井野ちゃん、ともちゃん達がボクらをメディアクルーのテントに招集する。

ボクらがアタカマに旅立つ前に、としをサンにインタビューして

としをサンからボクらへの応援メッセージを録画し現地に持ってきてくれていたのだ。

としをサンが

「(万一)アタカマでチーム”KIZUNA”のメンバー”が

『ここぞ踏ん張りどころ』というタイミングで、

この映像を見せてほしい」

と、ボクらに託してくれた、映像。

画面に映された、

としをサンの優しく力強い眼差しを見た瞬間、

メッセージが流れる前から涙が止まらなくなってしまう。

13-20

 

 

としをサンを見送ったあの朝以来、

涙はずっとガマンしてきたつもりだった。

としをサンが、画面を通して、

ボクら一人ひとりに、メッセージを送ってくれる。

最期まで、ボクらのことを、力強い目で、まっすぐに、

でも優しく見つめ、

ボクらをよく理解し、こうして支えてくれていたんだ。

感謝と、切なさで涙が止まらなくなるも

必死にこらえ、メッセージ動画を受け取った。

「メソメソしてたら、としをサンに叱られるぜ。

明日のステージ5、しっかりとゲンキに走りぬいて、

としをサンの告別式に間に合わせよう。

そして、みんなで黙祷しよう。」

何が何でも、ゼッタイに、

そして、サイコーに楽しみながら、

世界一を、としをサンに見せつけてやろうぜ!!!!

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】14:ステージ5『オーバーナイトステージ』

いよいよ、その朝がやってきた。

日本と、そして地球の真裏の南米チリで同時にスタートする

「オーバーナイト」ステージである。

今日の目標は3つ。

1. としをサンの告別式(14時間後)までにゴールする

2. 少しでも順位にこだわり、出しきる走りをする

3. 余裕有ればコスプレでゴール(どんな状況でも、笑顔!)


ところで、ステージ5のスタート地点(ステージ4ゴールのキャンプ地)は

ウユニ塩湖を彷彿とさせる、こんなステキな場所だった。

前日見た際は

信ちゃん「キレイだなー。小野さん、ちょっと立ち入ってみようよ」

でも、ゴビ砂漠で、ちょっとした足マメから感染症にかかり

あやうくリタイアになりかけた経験のあるボクは

ボク「油断大敵!明日に備えて、入るのはやめようよ」

ギリギリまでいって、記念撮影でガマン。

ところが、いざステージ5をスタートしてみると。。。

完全に湖に入るコースやんけ/(^o^)\!

最初の3歩目までは

「今日は76kmのステージ。しょっぱなから足が濡れたら、

足マメなどどんなトラブルがでるか分からない。

なるべく足は濡れないように」

なーんて考えていたけど、

4歩目以降は

「こうなりゃ、遊びながら走るしかないぜ!(;・∀・)」

湖に浮かぶ「チーム”KIZUNA”」の3名。(左から黒ちゃん、信ちゃん、ボク)


(バナナを背負う信ちゃんと、その右に黒ちゃん)

こんなステキな景色の中を走っていけるのだ。

今日はいつも以上にペースを上げているせいか、

周りで顔を合わせる選手も全然違ってくる。

なんなら、同じテントメイトで、総合2位のVladも途中で追い抜いてしまった
(後から抜き返され、結果3時間以上差を開けられたけど!)

ボクは3夜連続で、ほぼ眠れずだったのだけど、

ボク含め、みんなの気合も体調も万全!

様々な地形を走りぬけながら進んでいく。

ステージ5しょっぱなで浸かった塩湖で、

靴紐が完全に固まったりしながらも

ひたすら、こんな凸凹な塩の結晶を踏みしめたりもしながら

時には、サプライズで炭酸ジュースのプレゼントも!

温くても、かつてないウマさに乾杯!!

不思議なのは、砂漠レースでは「お決まり」ながら、

3名ともこれまでの4日間で一度も体験していなかった「手足のむくみ」が

5日目、3名同時に突如起こったコト。

塩分のとりすぎで、体内の塩分濃度が濃すぎたり

胃腸の不調でうまく水が体内に吸収されないと生じる症状。

「きっと、としをサン、お通夜の為にアタカマから一旦東京に戻ったんじゃないかな」

3名それぞれが充実した走りを継続し、

かなり良いペースで、いよいよゴールが迫ってきた。

順位的にも、相当に上げられたハズだ。

「よし、いっちょかますか!!」

ようやく、この時がやってきた。

そう。ついに

「コスプレでゴール」

の時がやってきた。

もともと考えて来たコト

「いよいよ、チーム世界一を確信した時に、コスプレでゴールしよう。

でも、最終日のゴールは、としをサンのウェアでゴールしよう。」

今日のステージ5のゴールしか、チャンスはないのだ。

 

そして、ついに

目標の14時間どころか、11時間30分ほど。

ステージ5単独で16位の成績でゴール!


やりきった満足感の3人。


「これで、チーム世界一はほぼ確定。

なんなら、総合でもかなり良い成績じゃないか!」


いつも先頭でチームペースを創ってくれた黒ちゃん


走力が一番無いながら、誰よりも踏ん張りを見せた信ちゃん


そして、「ダイコン」を海外選手に説明するのにいつも一苦労なボク

3人のコスプレおっさんランナーが、ゴールするなり、

涙にくれている、そんな姿ながら、事前に事情を知ってくれていた

大会ディレクターのAlinaも一緒に涙を流してハグをしてくれる。


「オレやったよ!としをサン!!

ちゃんと、告別式間に合わせたからね」

つづく

【アタカマ砂漠250kmマラソン】15:ステージ5-2『待ち人、来たる』

11時間半に及ぶステージ5を走りぬけ、

残すは翌々日のステージ6のみ。
(ステージ5はオーバーナイトの2日間なので、1日でゴールできたボクらは翌日まるまる休足日となる)

ずっと故障で恐れており、

奇跡的に故障再発ぜずにすんだ、

脚のテーピングは1週間でガビガビに。


テーピング以上に、よく脚がもってくれたものだ。

1週間前の東京マラソンでは10kmで痛みがでたのが

今では240kmほど走って、なんともないなんて。。

「としをサンが見守っていてくれてんだろうな」

ちなみに、レース前

レース後

この3日間ほど、ほぼ熟睡とは無縁なのだが、

11時間半を走ったステージ5のゴール後も、

再び胃がキモチ悪くなったのもあり、横になっても眠れない。

ずっと目に見えないプレッシャーと闘っていたのが、一気に開放されたからだろうか。

どうせ、眠れないし、ひとり横たわっててもゲンキにならないので、

真っ暗闇の中、まだまだ走っている選手達を出迎えるべくゴール地点へ。

(みんなのゲンキなゴールシーンを見るほうが、
ゲンキもらえるよな)

さすがにロングステージだけあって、選手がゴールに戻ってくるのは

ヘタをすると30分~1時間に1名といったカンジ。

でも、遠くにゆらめくヘッドライトが見えると、ものすごい興奮し

勇気が湧いてくる。

「誰よりも、一番長くコースで闘っている選手が、

一番タフな選手なのだ。真っ暗闇の中ひとり帰ってくる勇気たるや。。。」

そんな中、一人の男が勢いよく走って戻ってくるではないか。

ボク「キヨピだ!!!」

実は、このアタカマには、

他にもボクが「巻き込み事故」的に参加を誘っていた選手がいた。

3年ほど前にTwitterで仲良くなり、ランにも巻き込んだ

キヨピこと「高橋 浄久」だ。

キヨピは、半年以上も前にアタカマにエントリーしておきながら

「みんなには、アタカマ参加するコト自体をサプライズで黙ってよう」

と、エントリー表には偽名(Kirikomi Takaichiro)としてエントリーしていた。

キヨピも、アタカマ前にいろんなトレーニングを積んで来たとはいえ

2日目が終わった段階で、あまりの疲労困憊ぶりに

(コレはかなりシビアかも。。連れて来てしまって、悪いコトをしたんじゃないか。。。)

「キヨピ、とにかく完走を重視して、徹底的に荷物の軽量化を図ろう!」

と、荷物を全部チェックし

「コレはなくても完走ができる。捨て!」

「コレは、ないと困る。残し!」

とばかりに、大幅に荷物軽減を行った。

それもあり、3日目からメキメキとゴール時間が早くなり

ステージ5も、日付が変わる前に、しかもスパートして帰ってくるではないか!

「キヨピ!!やったなー!オマエ!!!」


ステージ5のゴールにて。キヨピ(左)に抱きつくボク

キヨピ「小野チン、連れて来てくれて、ありがとう」

ボク「こちらこそ、ありがとう!ありがとう!!( ;∀;)」

こんなにも、誰かの帰りを喜んで迎えられるなんて、

人生に、そうそうあるものではないだろう。

その後も、ポツリポツリと帰ってくる選手たちを拍手で迎えながら、

結局朝7時まで一睡もせずにゴールに寝袋でくるまりながら過ごす事になる。

そして明け方、1時間ほど仮眠をし、また選手たちの帰りを待ちわびる。

そして全盲の濱田さんを含め、

日本人も20名全員が無事ステージ5までクリア。

(実質、日本人も全員完走が見えた!

これだけ多くの参加者がいながら、スゴイことだ!!!)

あとは、明日の最終日、ステージ6をゴールしたら、


完走だ!

夢に見た、チーム世界一だ!

つづく

 

【アタカマ砂漠250kmマラソン】16:そして『世界一チーム』へ

最終日のステージ6。

これを終えれば、

いよいよ

「アタカマ砂漠250km完走」

だ。

ゴールすれば、

1週間ぶりのシャワー、美味しいゴハン、ビール

が待っている。

そして、

世界一チーム”KIZUNA”

の誕生だ。

ステージ6の朝は、みんな和やか。

1週間、ともに闘ったテントメイトと記念撮影。

1週間前に7.5kgでパンパンだったリュックも、

何ならダイコンがメイン装備な程に縮まっている。


(白い巻物みたいのが、ダイコンw)

そうして、最終ステージがスタート。

これまでのアタカマでの7日間、

そして、そこに至るまでの様々な日々。

実にいろいろなコトがあった。

そんな想いを思い返しながら、

文字通り「一歩一歩」

ゴールのサン・ペドロ・デ・アタカマの街へ向かっていく。

思えば、ノリでスタートしたチーム”KIZUNA”。

それぞれ低酸素など厳しいトレーニングを乗り越え

仕事やケガや病気などにも負けずに、ようやくここまでやってきたのだ。

3人無事にスタートに立てたコトだって、小さな奇蹟だったかもしれない。

そしてレース中も、結果的に大きな病気もケガもなく3名とも

無事にゴールへと向かえている。

レース中、小さなケンカなどもありながらも、

お互いの考えをより話し合い、理解し、

互いの良い点をみんなそれぞれが引き出し合いながら

よりボクらの”KIZUNA”も固くなっている。

そして、そんなボクらの”KIZUNA”を誰より強めてくれた

としをサンからもらった沢山の勇気と教えをココロに、

としをサンの創ったウェアを着て、としをサンの写真を胸にして。

「としをサン、もうすぐゴールですよ。

お陰様で、世界一、獲れそうですよ。」

(ゴールするまでは、泣かない)

そう決めていても、こらえ切れなくなりそうになりつつも、

グッとキモチを引き締め、脚を進めていく。

そうして、いよいよ、アタカマの街への看板が見えてきた。

もう、ゴールは、目の前だ。

そして、250kmの先に

いよいよ、その時がやってきた。

「手をつないで、ゴール、駆け込もう!」

目の前のゴールでは

沢山の選手たち、スタッフたちが

大歓声で待っている。



「ヤッター!!!!!」

 

ついに、

ついに、

この時を迎えることができた。

「チーム”KIZUNA”」世界一の瞬間だ!!


胸には、としをサンの写真。
ありがとう。。

ここまで、一緒に闘ってくれた

信ちゃん、黒ちゃん。

そしてメディアクルーとして共に闘ってくれた

井野ちゃん、ともちゃん、今岡ちゃん

ウチら、やったね!!

やったんだよね!!!

世界一のチームだよ!!

ありがとう!!!

想えば今まで、実に、いろいろな人に支えられて

ボクらは、ここにたどり着くことができたのだ。

言いようの無い感謝で、

胸が一杯になる。

堪え切れず、目から涙がこぼれ落ちる。

 

大会運営をしてくれている

スタッフ、ボランティアの方たちへ。

こんな素晴らしい大会を

共に砂漠での生活をしながらも、いつも支えてくれて

ありがとう。

応援してくれた友達/先輩へ。

いままでどれだけ、

みんなの応援が、ボクらのチカラになったことか。

みんながいたから、ボクらは頑張れのたです。

感謝してもしきれません。

ありがとう。

見守ってくれていた家族へ、先祖へ。

こうやって、チャレンジできるカラダとココロを紡いでくれて

本当に、本当にありがとう。

そして、いつもワガママで好き放題やってるボクを

支えてくれているヨメへ。

本当に、本当に、ありがとうね。

いっつも、アホほど家を空けて仕事やらレースやら飲みやらだけど、

ホント感謝しているよ。

でも、いつもコトバばっかりでゴメンね。

本当に、ありがとう。

そして、そして

「としをサン、

ボクら!!

やりましたよ!!

やってのけましたよ!!!!

としをサンのウェアで、


『チーム世界一』

獲りましたよ!!!」

 

 

16-9

としをサン

「乗り越えられないんじゃないかっていう

痛みや不安を感じる『峠』」

を超えた翌朝だって、

いつもボクらに変わらず見せてくれていた笑顔で、

きっと見守ってくれているよね。

 

16-10

ほんとうに、

ほんとうに、

いつもカッコいい姿と

いつも絶やさない笑顔と、

入院先の病院スタッフですら感動させる優しい勇気と

素晴らしいボクらの「キズナ」のウェアと、

ボクらのチームワークの「タマシイ」と、

そしてなにより、

人としてのとしての素晴らしい生き様を

ありがとうございます。

ついに!!!

ボクら!!!!
チーム世界一

に立てたんだ!!!!!!!!!!!!

この「チーム世界一」

ボクらを応援し、支え、見守ってくれた、

全てのみんなとの“KIZUNA”があっての

世界一なのだ。

ありがとう!!!

(つづく

 

【アタカマ砂漠250kmマラソン】17:湧き上がる「『KIZUNA』コール」」

ボクらのゴール後も、

次々と他の選手達が感動のゴールを遂げていく。

そして、

全盲ランナーの濱田さんも、金さんと一緒にゴールに帰ってくる!

ゴール後、感動的なシーンが。

全盲の日本人ランナー濱田さんと、

完走に導いた日本在住の韓国人ランナー金さんを囲んで

 

「Korea! Japan! Korea! Japan! (韓国!日本!韓国!日本!)」

という掛け声と共に、

日本人選手と韓国選手での合同記念撮影が。

さらに掛け声は、

「Asia! Asia! Asia! (アジア! アジア! アジア!)」

と大きくなり、

中国や台湾やタイやマレーシアなどの選手もあつまり記念撮影へ。

 

お互いに、同じ「250km先のゴール」という目的に向かい

共に闘った仲間同士においては、

もはや、国境紛争も、国境線すらも、関係は無いのだ。

そうして、最終ステージ6はオワリを告げた。

でも、

ボクらにとっては、

まだ大事な「ステージ」

が残されていたのであった。

ボクが2011年のサハラで、イタリア4名チームを憧れて眺めた

「大会アフターパーティーでの『表彰式』」

である。

正直に明かすと、ボクは

レース前から、

表彰式で伝えたい事をまとめていたのだった(;`・ω・´)

そんなんだから、

『考え杉で、左の首が凝り杉になる』

にもなるのだろうか\(^o^)/。

ボクが勝手に考え、やりたかったコト。

2011年のサハラ砂漠で憧れの眼差しで見上げた「イタリアチーム」よりも

超えて実現したかったコト。

それは

「スピーチも、

チームメンバー全員で行い、

チームワークを発揮する」

こと。

2011年のサハラで優勝したイタリアチームは、

リーダーが、一人でカッコよくスピーチした。

でも、

ボクらのチーム”KIZUNA”は

それぞれの場面で、持ち味とリーダーシップを発揮しあう、

いわば「『全員、リーダー』としてのチーム」として

世界一を勝ち取ったのだ。

優勝スピーチもボクら3名全員でそれぞれ分担しつつ、

「メンバー全員で優勝スピーチをキメる」

それを、かまさねば。

事前に、文案をそれぞれで議論しあい、

徹底的に校正し、エイゴでの発音も練習試合、

そして、選手/スタッフ全員を前にしたセレモニーにて

としをサンの顔写真を画面に大写しにしたパソコンと共に

ボクらチーム

“KIZUNA”が語ったスピーチ全文がコチラ(英語/日本語)です。


=====
(Hiro : 小野)

Thank you so much…

At first, very important thing…

During this race, we were very happy to be cheered up like “Go Boys””, “Good luck Boys!”.

But unfortunately, we are not “Boys”.

We are almost 40th, not 14th 😛

Anyway, Our team name is “KIZUNA”.

“KIZUNA” is a Japanese word which means something can tie people  together emotionally, like a “bond” in English.


This wear is our KIZUNA for both all of us and with “him” (pointing at Mr. Toshio’s photo). 

(Shinya:信ちゃん)

He is the designer of our team ware, as well as our friend, elder brother, who taught us the importance of ” KIZUNA ”

He had been fighting against cancer for 11months,
and passed away last week , just the same day we left Tokyo for Atacama, for this race….

He was only 50years old….

It was his pushing us whole the way , that enabled us to get this great 
prize..

So we would like to pray for him , for 5seconds..

It would be great , if u could pray together for him..

(Yosuke:黒ちゃん)

Completing this race as a team, we got more experiences than expected.

We learned how difficult the team management under tough condition is.

However, once we got over the difficulties, we could enhance hour team abilities more than sum of individual abilities.

Thanks to my team mates, we got a successful result, as well strong friendship among us, our KIZUNA.

Also, we’d like to thank you for all competitors and staff.

Top rankers would open undeveloped wild course,

all the runners encouraged us showing their fighting spirits toward goal, and, all the staff provided us great supports all the time.

(Hiro:小野)

Lifetime is limited.

But, this is why we do our challenge.

We really thank to each of our friends, family, and ancestors that we were able to do our challenge, like this crazy Atacama Crossing.

Lastly, we would like to thank to all the staff of Racing The Planet, thanks.

(小野)

ありがとうございます。

最初に、大切なコトを(;・∀・)。。。

このレースの間じゅう、とても嬉しかった応援をもらいました

「GO!ボーイズ!」

「ガンバレ!ボーイズ!」

と。

でも、

残念ながら、

ボクらは「”ボーイズ”(少年達)」じゃないんです(´・ω・`)。。

もうすぐ40歳なんですヨ。14歳じゃなくって( ;∀;)。。

まぁ、それはさておき。

ボクらのチーム名は「キズナ」です。

「キズナ」は、日本語で『人と人のキモチを結びつけるモノ』。英語でいう”bond”のような。

(ボクらが着ている)このウェアは、

僕ら3人にとっての「キズナ」でもあり、

「彼 (嶋田 俊彦氏;としをサン)」との「キズナ」でもありました。

(信ちゃん)

(嶋田 俊彦氏)は我々のチームウェアのデザイナーであり、友人であり、兄貴であり、「キズナ」の大切さを教えてくれた方です。

11ヶ月前に末期がんの宣告を受け闘病を続けていましたが、先週亡くなりました。

まさに我々がこのアタカマに旅立つその日に。

今回このような名誉ある賞をえることができたのは、まさに彼が我々とともに、

背中をおし続けてくれたからに他なりません。

彼のご冥福を祈り、5秒間ではありますが黙祷を捧げたいと思います。

ご一緒にお祈りいただければ、これ以上の事はありません。

(黒ちゃん)

チーム戦での完走&優勝を通じて、予想以上の経験を得ることができました。

極限の環境下でチームワークをマネージすることの難しさを学びました。

でも、その困難を乗り越えたら、一人一人の能力の総和以上の実力をチームで引き出すことができました。

チームメイトのおかげで、世界優勝という快挙だけでなく、さらなる強いを得ることができました。

また、全ての選手とスタッフに感謝の意を述べたいと思います。

トップ選手は、険しくタフなコースを後続選手のために切り開いてくれました。

全ての選手のゴールへの執念に、激しく勇気付けられました。

スタッフ全員が、どんなときも素晴らしいサポートをしてくれました。

(小野)

人生は有限です。

でも、だからこそ、僕らはチャレンジを続けます。

こんなステキなレースにチャレンジできたことに、全ての友達、家族、先祖に本当に感謝です。

そして最後に、今回のレース運営をサポートしてくれた全てのRacingThePlanetのスタッフに感謝を述べさせて頂きます。 ありがとうございます。


=====
スピーチ後、トップランカーの選手達を初め

多くの選手達が、立ち上がり、ボクらを激しく囲んでくれる。


そして、会場は、

まさかの

「KIZUNA(キズナ)!!

KIZUNA(キズナ)!!

KIZUNA(キズナ)!!」

コールが巻き起こる。

鳥肌が、止まらない。

 

「としをサン、見てますか?

見てくれてますよね???

としをサンが紡いでくれた、

このウェア、

そして、そのタマシイの想い。

世界一のチームとして

世界中の選手達から、

歓声を浴びていますよ!!!

ありがとうございます!!!!!」

会場中の選手から、何度も声を掛けられる。


「素晴らしい!おめでとう!Boys!」

「最高に感動した!Boys!!」

「『(もう40歳近いオッサンだから)Boysって、言わないで』

って言ったんだけど(´・ω・`)www。

むしろ、ギャグが伝わって、ステキな愛を感じるぜ!!!(`・ω・´)ゞ」

としをサンも、こうやって笑顔で( ̄ー ̄)bグッ!

ってやっていてくれているに違いない。
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ウチら、やったよ!!!

日本人初の

砂漠レース、チーム世界一だよ!!!

やってのけたんだよ!!!!!!!!!!

つづく