拝啓、50のボクへ


ふと、

アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓、一五の君へ~」

がアタマに流れて止まらない。

負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそう」

「ひとつしかない この胸が 何度もバラバラに割れて」

そんな苦しい中でも、必死に生きている、十五歳の「君」へ。

そんな一五歳を経て「大人」になった今の自分でも

「傷ついて眠れない夜」はあるのだけれど、

悲しみも苦しみも、人生の全てに意味があるのだから、

恐れずに、自分を信じ、自分の夢を育てて、

「笑顔を見せて 今を生きていこう」

そんなメッセージの手紙を、贈る歌。

この歌は、

『十五歳』の経験を経て大人になり、

より成長した『自分』が、

「今『一五歳』として生きている『君』」に贈るメッセージであると同時に、

「これからも生きていく『自分』」が

「より成長した『未来の自分』を目指せるよう」にと、

自分自身へのメッセージでもあるのだよな。

と。

そう、僕なりに受けとめながら、何度もアタマでリフレインしている。

思えば、この1ヶ月ほどは、実にいろいろな事が起きた。

2週間の出来事さえも、なんだか数年も前のようにすら感じるほど。

大切な人の「最期」が無情にも近づいていく中、

その「最期の旅立ち」に立ち会うことができ、

切なさと悲しさに散々に涙にくれつつも、

その同じ朝に僕もアタカマ砂漠へと旅立ち、

さまざまな不安で一杯な自分と闘いながらも、

念願だった「チーム戦世界一」を達成することができ、

そして帰国後すぐまた出張で海外に行き、

これまでの自分ならば会うことすらなかなか難しいであろう、

実に素晴らしい、たくさんの人たちに次々と触れ合うことができ、

多くの刺激と勇気をもらえた、この一ヶ月。

悲しみも、喜びも、刺激も、勇気も、

実にめまぐるしくではあったけれど、

本当に「有り難い」経験だった思う。

ランでも、仕事でも、日常でも、

いつも心がけてきたこと。

それは、常に

「何か達成感を味わったり、嬉しい経験ができても、

逆に、悔しかったり、消えてしまいそうな悲しい経験をしても、

そういった自分を正面から受け止めつつ、一喜一憂せず、

すぐに次へと、未来へと自分を向けていく。」

こと。

決して

「過去」にフタをして、

過去の経験や想いを、記憶が拾えないような場所へと無理に追いやって

「先だけしか見ないようにする」

ということではなく、

嬉しい経験ができたのなら

「これができたんだからさ、さらに上だって目指せるハズだよな。オレ。」

悲しい経験をしてしまったのなら

「おかげで、オレ、鍛えられたんだよね。いろいろ学べたハズだよな。」

そう受け止め、経験を感謝に変えつつ、

「泣いても笑っても、過去は変わらない。

やれるのは、今から先へと進んでいくことだけ。

いろいろあったけど、過去の経験は、

どれも未来の自分に繋がる、スゲー「有り難い」コトじゃないの!

そう。

まだまだやれるはずだよな。オレ。

もっともっと、伸ばしていけるハズだよな。オレ。

そうして『(過去よりも)より良く』成長していけば、

感謝にお返ししていけるじゃないの!!」

そんな風に自分に言い聞かせ、心がけてきた。

『自分』から、『自分』への手紙、メッセージとして。

だって、ボクらが生きることができるのは、

いつだって、「今」しかない。

どれだけ過去に嬉しい事があっても

「今」はどんどん前へと進み、「過去」へと流れていく。

いくら過去の自分にすがりたくなっても、足を引っ張られそうになっても、

ボクらができるのは、

「今」をどう過ごすか。

「今」をどう生きるかだけだ。

そうして「今」がどんどん積み重なった先にしか

「未来」はないのだから。

この1ヶ月ほどの、様々な

悲しみや、嬉しさや、刺激や勇気を得た経験をふと思い返しながら、

改めて、

「いろいろな人に支えられて、こういった『今』があるのだな」

と、

いろいろな人達へ感謝で胸が一杯になり、

「しっかりと、未来に紡いでいかねばな」

「笑顔を見せて 今を生きていこう」

そう、強く勇気がうまれてくる。

未来が存在し、

『未来へと向かって、今を生きていられる自分』

が存在できているだけで、

どれだけ有り難いことだろうか。

そういえば、つい最近、

仕事のパートナーの小林さんが、素晴らしいコトを言っていた。

「子供を見ていると、ほんとにいろんなコトに興味を持って触れるのを見て

好奇心って、ホント大事だなって、気付かされた。

大人へと成長し経験が積まれるうちに、

子供の頃にだれもが持っていたハズの好奇心に

知らずと自らフタをしてしまいがち。

『でも、(過去の経験から)ソレは難しいんじゃないのかな』

『いやぁ、それはさすがにデキないんじゃないのかな』

子供の頃だったら、

何も考えずに、目を輝かせて飛びついたり、

まずは触れてみたりしていたハズなのに。

(ボクらが仕事を通して生み出して行きたい)

「イノベーション」や「新たな発見」なんて、

実はそこら中に転がっているハズ。

好奇心を持つこと。

そして、興味を持ったら

「経験」が持つ「先入観」に囚われずに、

まずは(子供のように)触れてみることが大事。

好奇心は、子供の頃に誰もが持っていたハズなんだから、

「イノベーション」や「あたらしい発見」だって誰にでもチャンスがあるハズ

なんだよな。」

有り難いことに、

ランでも、仕事でも、プライベートでも、

いろいろなコトにワクワクしたり、

好奇心を絶やさずにいられる自分が、今を、生きている。

幸運なことに、

そんな今の自分だからこそ、

次々と素晴らしいと思える人達に触れ合えたり、

本当に「有り難い」と思える体験をたくさんできたりするのかもしれない。

でも、

「まだまだやれるはずだよな。オレ。」

「もっともっと、伸ばしていけるハズだよな。オレ。」

そう。

もしかしたら、50歳くらいになった頃には、

好奇心が途絶え、

今のような素晴らしい経験や人たちと触れ合えなくなってしまっているかもしれない。

もしくは、

「未来に自分を向ける」ことができない程に

「消えてしまいそうな」くらいに、苦しい中で生きているのかもしれない。

ひょっとしたら、

既に「『未来』を失った存在」になってしまっているのかもしれない。

(いずれ、かならず、そうなるのだけれど)

できるコトならば、

少しでもカッコよく、もっといい笑顔で、

それでも

「まだまだ、やれるハズ」「もっともっと、伸ばしていけるハズ」

と前向きに生きていたいよな。

何歳になっても、

いつだって、大切なこと。

「人は、生きている限り必ず『未来』があり

いつだって、成長できるし、

どんな時だって、自ら変えていけるはず。」

という、こと。

有り難いことに、ボクは沢山の経験で、多くの素晴らしい先輩達から、

それを学べているじゃないか。

だったら、この先も、また一歩ずつでも積み重ねて

よりよい自分へと、育てていこう。

そして、五〇になった時に、また同じように、

もしかしたら、七〇になった時でも

「拝啓、五〇の君に」と

ステキなカタチでメッセージを紡げるオトナでいられるように、

大切に時を紡いでいこう。

そう、ふと想ったのでした。

おわり。

拝啓、50のボクへ」への1件のフィードバック

  1. 岳人

    お~スゲー感動した!感動!
    所さんの「笑ってコラえて」観てました、、、。ナセバナル ナサネバナラヌ何事も~
    この言葉 君のためにあるのだョ 小野裕史バンザァ~イ これからも応援している~
    次の目標 宇宙遊泳?  君なら可能ダ!!!

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です